特定非営利活動法人
藤沢相談支援ネットワーク

ありのまま、あるがまま、感じるがまま、今、とか。

 あの日から、もう、私には明日があるとは思えなかった。「絶望」とは広辞苑によると「望みや期待が全く絶たれること」らしい。私はひとり薄雲の中にいて、どうやら晴天の日でも太陽の光が雲にのみ込まれてしまって届いていないようだ。毎日、毎日灰色の世界。
 灰色の世界の住人となった私に、私の近くにいた人々は何とか太陽の光を差し込もうとしてくれた。薄雲の外から。
 太陽の光が届かないので、とうとう強烈な光を放つ太陽マシーンを薄雲に当ててみたり。太陽マシーンの光は薄雲を突き抜け私にささり、ヒリヒリして火傷しそうで痛かった。あまりに痛かったので、太陽マシーンの光を遮るようにさらに暗雲が立ち込め、とうとう私からは、一番近いはずの人々は誰も見えなくなった。

 

 灰色の世界から漆黒の世界への扉が開いていた。

 

 漆黒の世界へ踏み入れたあの日、悲しみに覆われたあの日、偶然にも居合わせたその人がいた。その人は私のことは何も知らないし、私もその人のことは何も知らない。ただ、その日、暗雲の中にうずくまっている私をたまたま見かけた。ただ、それだけ。その人は、雲の中に入ってただただ雲の中にしばらくいて、それ以上は私に近づくこともなく、光を当てようともせず、そっと雲の中に一冊の絵本を置いていき、去っていた。母親の羊水のような絵本だった。冷え切った足のつま先から頭の先まで温水が流れるように、じわりじわり体が温かくなった。泉のごとく体中から涙があふれ出て、とうとうあふれ出た涙で雲が流れはじめた。

 

 気がついたら流れた雲の切れ間から、木漏れ日が差し込んでいた。

 

 ふと、今でもその人を想う。その人はなぜたった一人、あの日の私に絵本が必要だとわかったのだろうか。通りがかっただけなのに。うずくまっている姿をたまたま見ただけなのに。その人もいつか耐えきれないほどの悲しみの中に立ち尽くした日々があったのだろうか。わからない、でも、きっと、いつでも無色透明な、最高純度のまなざしで、出会う人々の「今」と交差しているのであろう。だから、あの日も、あまりに暗雲で誰もが入ることを恐れていた私の雲の中に、そよ風のように入ってくれた。

 

 その人はそんな無色透明な世界にいて、目の前の人の色をそのまま見ることができるから、わかってしまう。たとえ一瞬であっても交差した人たちの本質を。

 

 ありがとう。私の世界の色が濃くなる時、あなたを想い出し、淡くすることができる。せめて淡くなった世界なら、出会う人々の「今」が見えてくる。

 

 今、まさに君の葉脈が脈打つ瞬間に、君と出会いなおせる。