特定非営利活動法人
藤沢相談支援ネットワーク

謙虚さと白玉と大福

ちょっと前の話ですが、実家に帰るとトイレに「謙虚さがなくなる14の兆候」という紙が張り出されいました。どんな意図があったのかはわからなかったけれど、目を通すと自分にも思いあたることが…。どうやら本からの引用で、SNSなどでも流行ったようでした。

 

それをきっかけに、「謙虚な人って誰を思い浮かべるか」「謙虚さって何だと思うか」ということを、自分の尊敬する人たちに聞いてみようと考えました。

いろんな意見や考えを聴き、やりとりをすることはとても面白く、正解がある問いではないけれど、共感できる意見、自分が考えてもいなかった視点、心あたたまるエピソード、いろんな話を聴けてすごく自分の心の肥やしになりました。

 

そんな皆さんのおかげで整理されたのは「どんなに自分が謙虚であると思っても、ありたいと努力したとしても、みんなから謙虚だと言われている人であっても、『誰でも謙虚さを失う、忘れるリスクがある』そのことを自覚し自己点検をして自律心を持ち続けることが、一つの謙虚さの形である」ということ。

 

その視点で考えると、人は「謙虚な人」と「謙虚じゃない人」に簡単に2分できるのではなくて、調子にのって傲慢になってしまいそうなときもあれば、卑屈になってしまうときもある。心に余裕があれば謙虚な考えをできるときもある。環境や状況次第できっと誰もがどちらにもなる可能性がある、連続性(スペクトラム)の中にいるということだと。

 

それは「障がい」と同じ考え方だと思います。何か一つ環境が違ったら、生きづらさを感じるのは自分かもしれない。一方で、一つの出会いが生きづらさを解消してくれるかもしれない。「障がいがある人」「障がいがない人」という考えではなく、すべての人がその連続性の中にいる、そんな視点をもちながら謙虚さを忘れずに人と関わっていきたいなと思います。

 

そんな私のマイブームは白玉と大福です(今は次に食べる白玉のことで頭がいっぱいであります…)。これらは間違いなく、問答無用で、誰がなんと言おうと「とても美味しい」に分類されています!!(これって傲慢ですか?)