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藤沢相談支援ネットワーク

読書Diary① 『こちらあみ子』今村夏子 著 ちくま文庫

読み終えたあと、私はすっかり主人公のあみ子に魅了されていた。もはや好きを超越した憧憬とも言える気持ちかもしれない。それはどこかで自分の中のあらゆることへの「好き」だけを大事に、「好き」を選択と行動の基準に生きたいと思いながら、それだけでは生活できないもどかしさを抱え、ごまかしながら生きている自分があみ子と出会うと浮き彫りとなってしまうからだろうか。とにかくあみ子が愛おしく、そのままでいてと抱きしめたいのである。 主人子のあみ子はよく言われるところの「変わっている子ども」である。あみ子の行動の基準は「自分がそうしたいと思ったから」、たとえ自分のことを傷つけられても切ないまでに突き通すのである。「普通」や「常識」に惑わされず、自分の中に沸き起こる「不思議」や「違和感」を、つまるところ「自分自身の感覚」大事にしているのである。周りに何を言われても、気持ち悪がられてもあみ子は気にしない。だって、自分が「好き」と思うことをしているだけだから、自分の中の「好き」をただただ純粋に全身全霊で相手に伝えたいと思っているだけだから。そこに他者に見返りを求める態度は何一つない。あみ子の一点の曇りもない美しい雪の結晶のような気持ちが溢れても誰もあみ子の核にはたどり着けない。いつでもどこでも「変わっている子」。 これほどまでに周りの理解がなくても、あみ子はあみ子。いや、そもそもあみ子は自分のことをわかってほしい、よく見られたい、見てほしい、などの凡欲が一切ない世界に生きており、日々、煩悩だらけの私とは異空間に生きているのだ。なんという世界であろうか。煩悩のない世界、けして私がたどり着けぬ世界にあみ子は生きている。あみ子に魅了されたらもう、もはや「常識」や「普通」には本質的には何も意味がないことに向き合い続けるほかない。 日々の私の仕事においても同じくである。ご本人の持つ宝物の「感覚と価値」を相談支援専門員である私は本当に大事にしているだろうか。知らず知らず、実は実体のない謎の「常識」や「普通」の世界に閉じこめてはいないだろうか。と、あみ子から問われている気がしてならない。最後に大好きな文中の一文を添える。 「応答せよ。応答せよ。こちらあみ子」

『こちらあみ子』 著者 今村夏子 ちくま文庫