特定非営利活動法人
藤沢相談支援ネットワーク

比べないこと

3月末が誕生日の私は、同級生より反応がワンテンポ遅れている子供であった。近所に同学年となる4月生まれの男の子が二人いたが、幼児期の1年の差は大きく、一緒に遊んだ記憶もない。昔の写真からは、それなりに幸福な子供時代を過ごしたように見えるが、同じ年頃の子供と遊んでいる写真はほとんどない。記憶にあるのは特に刺激のない夢の中のような静かな場面である。そんな自分が幼稚園に入り喧噪の中の集団生活によく適応出来たなと思う。

 

いや、そもそも適応していたのか?母が言うには、幼稚園の参観日など見ていると、先生の「次は粘土で動物を作ります、さあお道具箱を出しましょう。」との指示に、周りの園児は一斉に後ろのロッカーに殺到するが、私は人波が落ち着くのをしばらく部屋の隅で眺めていたらしい。皆が席に着き作り始めてから、よいしょ・・という感じでお道具箱を出していたと大人になってから笑い話で伝えられた。このころの記憶で自分でも覚えているのは、おしくらまんじゅうに入れなかったこと。わー!と子供が集まる雰囲気が苦手だったのだろうと思う。

 

あまりのぼんやりした我が子に危機感を覚えたのか、母は園児の私をピアノ教室に通わせた。何か得意なことを見つけてやろうと思ったのか、もっと積極的になるようにと願ったのか不明だが、そこでものんびり屋の癖は抜けず、後から習い始めた同級生に次々先を越されていったものだった。

 

大人になり自分が子供を育てる中で、その頃のことを思い返し気付いたのは、のんびり屋であることを誰にも咎められなかったことである。幼稚園や小学校の先生にも「ゆっくりですがコツコツ頑張れます。」など肯定的に見て頂けた。ピアノに関しても、先に習っていたのに不甲斐ないとか、抜かされないように練習しなさいとか、人と比較して叱られたことが一度もなかった。もし、叱られていたら委縮して、ピアノも辞めていただろう。比較されなかったことは今でも感謝しているし、人生においてつい周囲を見て焦ってしまいそうなとき、自分に立ち返ることが出来る軸になっている。