特定非営利活動法人
藤沢相談支援ネットワーク

休日

早いもので今年も12月に突入しました。コロナに振り回され生活スタイルが皆さんも大きく変わったと思います。私としてはコロナ以前から休日に関しては変わらない非生産的な生活を送っています。 2019年1月開催の「藤沢市民マラソン」にエントリーをし、2018年9月頃よりスポーツジムに通い、土日はウォーキング、ジョギングとそれなりに充実した日々を送っていたのですが大会2週間前、人生初の「インフルエンザ」を発症。40℃前後の熱が4日間続き、回復まで10日以上かかってしまい大会出場を断念。一緒に参加予定だった仲間の応援に回りました。その日以来スポーツジムに通う気持ちが薄れ、ウォーキング、ジョギングも全くすることが無くなり、休みの日は10時頃起床、午後は昼寝、夜も普通に睡眠といった生活スタイルが築き上げられました。最近、家族からは「何かすることはないの?」「いつからこんな情けない人間になったのかね~」などと呆れられていますが、コロナを理由に「不要不急」を連呼、全く行動をしていません。 コロナが原因ではないことは明らかですが、やはり目標を失ってしまうと新たな一歩を踏み出すのは本当に大変なことだと思います。若いころは休みとなればサッカーに明け暮れ、サッカーのない日は早朝から釣りに出かけたりと常に動いていた自分が嘘のようです。最近、何かしなければとは思うのですが中々踏み出すことができません。誰かに言われてやるのでは長続きもしないだろうし、心の底から自分自身が納得しないと難しいことだと実感しています。 日々の仕事もしっかりとした思いがないと相手にも伝わらないし、無理やり誘導しても受け入れてもらえません。お互い妥協しながら折り合いをつけゆっくりでいいから一歩一歩前に進んでいきたいと思います。   <追伸> 先日、スポーツニュースで知的障がいの女性が高校生まで陸上100mを頑張っていて先生や周りの人たちも大きな期待を本人に寄せていました。しかしパラリンピックには知的障がいの100mの種目はなく、400mか1500m選択するしかないため、東京パラリンピックには陸上400mでの出場を目指すことになりました。3年間、トレーナーが付き、頑張ったのですが彼女にとっては100mが楽しく400mは決して楽しいものではなかったようでした。トレーナーがパラリンピックをあきらめる決断をしました。パラリンピックを目指さないと彼女への支援は打ち切りになるとのことでした。まだ、20歳前半の彼女ですが今年10月に100mでラストレースになりました。 パラリンピックの夢は立たれましたが、そもそもその夢は本人のものだったのでしょうか?周りの人たちの思いが強かったのではないのでしょうか?トレーナーは、そこに気が付いたのだと私は思いました。現在彼女は福祉施設で農作業などを行い毎日楽しく生活をしているそうです。