特定非営利活動法人
藤沢相談支援ネットワーク

【〇〇】は発明の母?

わたしの少年時代の日本は戦後の復興から朝鮮戦争の特需を受けて好景気へと進んでいく時代でした。日本のプラモデルの黎明期でもあり「ゼロ戦」や「戦艦ヤマト」のプラモデルは定番で友達と競って作ったものでした。 単純に強いものにあこがれる年頃でしたが、戦記物や英雄の話には興味がなく、飛行機や機械のメカニズムに対しての興味が強く、モノづくりが好きな子どもでした。本と言えば飛行機の専門雑誌を読みあさっていて、教科書や文学作品などとは疎遠で学校の勉強は好きではない子どもでした。 国語の試験で「【〇〇】は発明の母。」という言葉の虫食い問題が出た時に、持てる知識を総動員して熟慮の結果、「【戦争】は発明の母。」と回答しました。 1903年にライト兄弟が発動機付き有人飛行機の初飛行に成功して以来、スペイン動乱や第1次世界大戦などで偵察のために使われ始めた飛行機は、陸軍や海軍の補助的働きから次第に爆弾の投下や敵機の撃墜のために様々な進化を遂げ、武器としての性能を高めていきました。それと同時に培われた技術や理論は民生用にもスピンオフされて、平和利用を目的にあらゆる方面での技術革新などが進んでいきました。 そんな歴史を飛行機の専門雑誌などから学んでいた少年は、「戦争はまさに発明の母であり父である。」と思ったのでした。しかし、試験が終わってから職員室に呼び出され、「【戦争】とは何ということか!」と先生に一喝されてしまいました。先生にしてみれば、「なんと恐ろしい思想を持った子どもなのだ!」と思われたのかもしれません。この時代の先生といえば戦争体験者が沢山いた頃です。子どもたちに「平和」の意味と大切さを教えたいと真剣に取り組まれていた方も多かったと思います。先生にどうしてこんなことを書いたのかと問われて、「戦争を賛美しているのではなく、技術革新の過程で戦争が起爆剤になってきた事実を言いたかった。」などと上手く説明も出来るはずもなく、うつむいて固まった少年と失望した先生の間に重たい時間が流れていました。真面目に授業を受けて勉強していれば【必要】と簡単に正解できたのでしょうが、この日はそれだけでは学ぶことが出来ない大事なことを教わったのかもしれません。 その後、少年の勉学態度が変わることはありませんでしたが、先生の「平和」「反戦」の思いは、今でも私の心の深いところに刻まれています。 平和、繁栄を望みながらも自らの利益のために、他を排除するための戦いの準備を怠らず、ついぞ紛争が治まることのない世界。大きな欲望と矛盾をはらんだ人間の本性によって最近とみにキナ臭い世界情勢の中、新型コロナウイルスによって、人類にとって「本当に必要なものとは何なのか?」を考えろと突き付けられているように感じます。 長い歴史の中で、忘れた頃に何度も繰り返し地球人の英知が試されているのかもしれませんね。