特定非営利活動法人
藤沢相談支援ネットワーク

「好き」について

「好き」という感情が好きだ。禅問答のようであるが、何というかLoveともLikeとも違う、体中からあふれる「好き」。猫が好き、青が好き、洋服が好き、物がないことが好き、本が好き、この空間が好き、この肌触りが好き・・。よかった、書き切れないほどにある。そして、雑貨が好き、物がないことが好き、白が好き、黒が好き、この身勝手な矛盾だらけのカオスな「好き」達が愛おしくてたまらない。 日々どろどろした情報を浴び続け、雑音と物と人にあふれかえった街中をすりぬけ、ぼろ雑巾となって家路に辿りつき、倒れこんだ夜、「好き」達が私を包みこんでくれる。母親の胎内の羊水の中にいるみたいに、ここは絶対安全地帯。もう何者にもおびやかされることはない。 もう、すべての人は「好き」を基準にあらゆることを選択できたら、どんなにか幸せだろうと思う。「好き」の感情はいつでもひだまりの中にあってあたたかい。あれ?耳を澄ますと遠くから「善意」という名のノイズが聞こえてくる。”君、まだ、それ好きなの?もう流行っていないよ。” ”君はこっちの方が好きだと思うな。” ”君、こっちにおいでよ”・・・。どうぞご勝手に、ありがとう。そんな「善意」どうでもいいもの。「私」が好きと思っている、そのことが私にとってのたった一つの真実。 「好き」は一切の外的な要素を必要としない。「好き」の前には人様の思惑なんぞ瞬く間にひれ伏すのだ。何というすがすがしさよ、そう、「好き」は優しくて、そして何万カラットのダイヤモンドよりも強くたくましくて、光があふれ輝いている。 ある高校の卒業式で、素敵な素敵な校長先生が卒業生へのはなむけの言葉でこう語りかけた。 「これから皆さんは社会に出ます。社会に出たら、つらいこともたくさんあるでしょう。でも、皆さんの中に「大好きな」ことがあったら、きっと、そのつらいことも乗り越えていけるはずです。絵が好き、歌が好き、折り紙が好き、ダンスが好き、紙をくしゃくしゃすることが好き、何でもいいのです。どうか、みなさん、これからもどんどん「大好きな」ことを見つけていってください。その「大好きな」ことは必ず皆さんを助けてくれることでしょう。」

今宵も校長先生のお話の毛布にくるまれながら、「好き」たちを抱きしめ、眠りにつこう。さあ、明日はどんな「好き」に出会えるだろうか。